何者かになりたくて、心はずいぶん苦しんでいたりします。何気ない時間を見過ごして、特別な時間を待ち焦がれていたりします。今日の空を眺めながら、曇りのあとに青がのぞく空を認めながら、この身などおかまいなしに、世界が動いている気がします。そんなときは、いのちが少し遠ざかっているのかもしれません。何者でもない自分を受け入れると、心はずいぶん軽くなる気がします。世界は相変わらず、競って比べて、主張して、奪い合うばかりだけれど。達磨から数えて6代目、禅宗
中興の祖となった六祖 慧能曰く「知恵や悟りに必要な物などない。きれいな鏡も台もいらない。本来無一物だ。塵や埃も何一つない」ーーそんなメモ書きを読み返しながら、今日という日の無事に手を合わせました。(次回は10月10日頃に😊)